「受けるよりは与える方が幸い」

A.「受ける」より「与える」ほうが幸い

 カトリックの作家・曽野綾子さんが著書『「受ける」より「与える」ほうが幸いである』にこう記しています。「人は受けている時には、一瞬は満足するが、次の瞬間にはもう不満が残る。もっと多く、もっといいものをもらうことを期待するからだ。しかし自分が人に与える側に立つ時、ほんの少しでも楽しくなる。相手が喜び、感謝し、幸福になれば、それでこちらはさらに満たされる」と。
 「受けるよりは与える方が幸い」は、パウロが引用したイエス様の言葉です。

B.聖書より

  あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。」使徒言行録20章35節
 パウロは、自分の手で自分の必要を満たすだけではなく、自分よりも弱い人を助けるためにも働きました。誰にとっても、仕事には二つの目的があります。他人に頼らず生きて行くためと、他の人々に物惜しみせずに与えることができるためです。この独立と援助という二つを支えている根本精神は、「受けるよりは与える方が幸い」というイエス様の言葉です。自分の生活のことしか考えることのない人生は、淋しいものであり、決して豊かな人生とはなりません。しかし、たとえ持ち物は少なくても、与える精神が盛んであるならば、その人柄や、生活全体が目に見えて祝されたものとなっていくものです。

C. 与え続けるプレスリー

 エルヴィス・プレスリーは、小さな礼拝堂で9歳で洗礼を受け、そこで神さまとゴスペル音楽に出会い、牧師からギターのコードを学びましだ。48名の席しかなく、ステンドグラスなどの飾りが全くない、1920年代〜30年代の典型的なアセンブリー・オブ・ゴッド教会です。エルヴィスは、自宅から歩いて行けるこの教会に13年間出席しました。「プレスリー一家が、質素な教会に通ったのは、見栄を張るためではなく、教会音楽と説教、そして交わりから素晴らしいものが得られたからであろう」、と言われています。
 生前のエルヴィスは、家族、友人、他人のために、キャデラックや現金、宝石を与えたり、治療費を払い、家を買い、多くの家族を支えました。また、多くの慈善団体に毎年寄付を送り続けました。その寛大な行為は、メンフィス大学のエルヴィス・プレスリー奨学金基金と、エルヴィス・プレスリー慈善財団に継承されています。また、与えるという伝統は、世界中のエルヴィス・ファンクラブにも受け継がれており、各ファンクラブはエルヴィスを偲んで、慈善事業に深く関わっています。  プレスリーの公式ホームページには、「与える方が幸い」と書いてあります。クリスマスの時期に、一口15ドル寄付すると、彼の記念館にポインセチアが飾られます。そして、その寄付金はプレスリー・プレイス(プレスリーの別荘)の運営費となるのです。 プレスリー・プレイスとは、12棟の集合住宅で、2001年にエルヴィス・プレスリー慈善財団によって建てられました。ここでは、ホームレスの家族を、一年間住まわせ、働きながら職業訓練校に通ってもらい、お金の管理の仕方、親業、健康管理などを教えることで自立の道を援助します。これまでに(2010年7月現在)、190人の親と300人の子どもたがこの施設を利用しています。プレスリー・プレイスに住む男性はこう言います。「この施設は、この世には、他人を心配し、配慮してくれる人々がいることを教えてくれた。将来、私自身も、メンフィスの負の部分を消滅させるために努力したい」と。
 エルヴィスの与える精神は、この世の財産に固執しないペンテコステ派教会で少年の頃に培われたのでしょう。そして、その与える精神は、今でも人々の間で実を結んでいるのです。

D.結び

 与える精神を持つ人は誰もが、その人柄や、生活全体が目に見えて、祝されます。神さまから愛を受け取った人は、その愛を、人に分け与える人となりましょう。受けるよりも、与えることの方が幸いなのです。御翼2010年3月号その1より  
  
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